7月29日、神戸国際大付属が関西学院との決勝に勝利し4年ぶり3度目の夏の甲子園出場を決めました!
神戸国際大付属といえば最速147キロを誇る阪上翔也(さかうえしょうや)選手が在籍していますね!
阪上翔也選手は高校2年生の時から高校卒業後はプロ入りを表明しており、各球団関係者からも注目されていました。
春の選抜では途中右肘に痛みが出たことで降板し、チームは仙台育英に大敗を喫していました。
ケガを克服し甲子園に帰ってきた阪上翔也選手とはいったいどんな実物なのでしょうか!?
この記事では、神戸国際大付属の阪上翔也選手について、小学校や中学校、家族(両親兄弟姉妹)といったプロフィールや彼女の噂等をまとめています。
阪上翔也のプロフィール!出身校(中学・小学校)や球種/球速は?
阪上翔也選手は神戸国際大付属所属、2021年ドラフト候補の注目選手です。
阪上選手が注目され始めたのは昨年、高校2年生です。
昨年夏の県大会では3回戦で9.1回2安打、15KO封の好救援を披露。さらに決勝・東播磨戦では10K2-0の完封勝利を収めています。
近畿大会でも1回戦・近江高戦で5-2完投勝ちを記録しており、一躍プロスカウトからも注目されていました。
しかしその後は右肘の怪我に苦しめられ、3年春の選抜で全国デビューを果たすも、怪我が完治しておらず投打で苦戦を強いられました。
この苦い経験を乗り越え、夏の甲子園出場を果たした阪上翔也選手のプロフィールをチェックしていきましょう!!
プロフィールや出身校(中学・小学校)
阪上翔也(さかうえ しょうや)
生年月日:2003年度生まれ
出身:兵庫県伊丹市
身長:180㎝
体重:80㎏
ポジション:投手兼外野手
投打:右投げ左打ち
小学校:伊丹市立瑞穂小学校
中学:紀の川市立打田中学校
小学校から野球を始めた阪上翔也選手は、小学6年生の夏に大きな決断をします。
それは、<中学から親元を離れ和歌山県の祖父の下で野球をする>というもの。
阪上翔也選手の祖父・弘次さんは和歌山の打田タイガース(現打田ヤングタイガース)の監督を務めていました。
そんな祖父の下で野球をすることを決意した阪上選手に、当初は母・万季さんは行かせるべきか悩んだそうです。
いくら祖父母とはいえ、12歳の我が子と離れることを躊躇しない親はいないと思います。
「ユニバも映画館もないけどいいの?」という母の問いかけにも「行く」と答えた阪上選手の意思は固く、また祖父母の家から通う中学校が給食制で祖父母の負担が少ないということから、母・万季さんは阪上選手の考えを尊重し送り出します。
中学3年間祖父の下で練習を積んだ阪上選手は、強豪校である神戸国際大付属に入学。
入学直後からベンチ入りを果たし活躍しています。
球種や球速は?二刀流も
阪上翔也選手の魅力は何といっても最速147キロをマークしたストレート。
投球フォームがシンプルで魅力的。マウンドでの存在感も申し分なく、投手としての素質は十分!!
またコントロールにも定評があり、変化球もお手の物です。
110~120キロ強の縦スライダー、100キロ台のカーブ、130キロ前後のカットボールに120台のツーシーム。
球種を問わず安定して投げれるのが強みですね!
さらに、打者としての才能も発揮しており、高校通算30本塁打を記録する振り切るスイングではじき返す左打者として活躍しています。
プロ入り後は二刀流も期待できる選手ですよ♪
阪上翔也の家族(両親兄弟姉妹)や彼女の噂は?
神戸国際大付属の注目投手である阪上翔也選手は、前述した通り中学校3年間、親もとを離れ和歌山県紀の川市の祖父母の家で暮らしていました。
家族(両親・兄弟姉妹・祖父母)
ご両親や兄弟姉妹に関しては、お母さんの名前が万季(まき)さんであるということ以外分かっていません。
今後何か分かり次第こちらに追記していきたいと思います!
打田タイガース(現打田ヤングタイガース)の監督をしていた祖父・弘次さんと、弁当屋で働く祖母・千恵子さんに支えられて3年間を過ごした阪上選手。
祖母の千恵子さんは阪上選手が中学2年生になった頃から毎日のように日記を書き、そのノートを阪上選手の勉強机に置いていたそうです。
しかし中学生という多感な年頃の阪上さんがそのノートを読むことはなかったそうです。
それでも毎日阪上選手が返事を書けるようにと空白が残された日記を机に置いておいた千恵子さんは、試合の時には阪上選手の好物であるイチゴを用意して応援に駆け付けていたそうです。
しかしそんな千恵子さんが2020年2月に急死してしまいます。
知人の葬式の帰り道で突然倒れ、そのまま意識が戻らないまま亡くなってしまったそうです。
母・万季さんから訃報を聞いた阪上選手はその時になってようやく祖母千恵子さんの日記を目にしたのだそうです。
思春期の頃のありがちな家族を煩わしく思う気持ちはだれにでもあるものですが、このように後悔が残る形になってしまったことは阪上選手にとってもつらいでき事だったことでしょう。
現在阪上選手のグラブには<自分らしく>という刺繡が入れられています。
祖母・千恵子さんが残した日記の最後のページに書かれていた言葉で、千恵子さんの好きな言葉なんだそうです。
亡き祖母の残した言葉通り、阪上選手<らしく>試合に臨めるといいですよね!
彼女の噂は?
最後に、阪上選手の恋愛事情について触れておきたいと思います。
中学からがっつり野球漬けだった阪上選手ですから、おそらく彼女を作っている暇はなかったのではないでしょうか。
高校入学直後からベンチ入りしている選手ですし、入学前の春休みから部活にいそしんでいた可能性も高いです。
また、高校2年生の時点でプロ入りを表明していることからも、今は恋愛よりも野球を優先して生活しているのでしょうね!!
果たしてどんなプロ選手になるのか、今後の阪上翔也選手の活躍に注目していきたいですね!!