門田博光(かどたひろみつ)さんが1月24日㈫に急死されたことが話題になっています。
プロ野球選手として活躍された門田博光さんが突然急死されたことに驚きを隠せない方も多いのではないでしょうか。
今回は、門田博光さんのプロフィール、死因や病名、結婚や妻・子供・息子・娘、また若い頃や成績について調査していきます。
門田博光のプロフィール!死因や病名は?結婚した妻や子供(息子・娘)も
門田博光さんのプロフィール、死因や病名、また結婚した妻や子供(息子・娘)についてご紹介します。
プロフィール
門田博光さんのプロフィールは以下の通りです。
生年月日:1948年2月26日
没年月日:2023年1月24日(74歳没)
出生地:兵庫県相生市
星座:うお座
身長:170㎝
死因や病名
門田博光さんは、晩年糖尿病などの影響で体調を崩し、人工透析を受けるなど、兵庫県相生市で療養生活を続けていました。
門田博光さんの自宅があると思われる兵庫県相生市赤穂郡上郡町はこちらです。
2023年1月23日、予定されていた通院治療に門田博光さんが現れず、病院が警察に相談。
24日午前自宅に警察官が尋ねたところ、倒れていたところを発見され、その場で死亡が確認されました。
外傷はなく、死因は今後調べられるようです。
結婚した妻や子供(息子・娘)について
門田博光さんのプライベートを調べたところ、奥さんと2人の子供がいることがわかりました。
ただ、亡くなった際は自宅に一人で倒れているところを警察に発見されているため、家族とは別々に暮らしていた可能性が高いです。
離婚した報道もないことから、門田博光さんがなぜ一人暮らしをしていたのかはまだ分かっていません。
門田博光の若い頃の成績は?
門田博光さんは1970年にドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団。
すぐに大砲として頭角を現し、翌年1971年にはリーグ最多の120打点で初タイトルを獲得しました。
1979年キャンプでアキレス腱断絶の大けがを負ったものの、懸命なリハビリ後、指名打者として復活。
1981年に初の本塁打王を獲得し、40歳の88年に本塁打、打点の2冠とパ・リーグMVPに輝いたことから、「不惑の大砲」「中年の星」と呼ばれていました。
通算2571試合に出場し、2566安打、567本塁打、1678打点、打率・289。
本塁打王3度、打点王2度、MVP1度の輝かしい成績を残し、2006年に野球殿堂入りを果たしました。
今回は門田博光さんについて、死因や病名、結婚した妻や子供(息子娘)、若い頃の成績をご紹介しました。
アキレス腱断裂や糖尿病など体の不調に侵されながらも、最近までメディアに出るなど精力的に活動していた門田博光さん。
日本野球の歴史に大きな功績を残した門田博光さんのご冥福をお祈り申し上げます。